古い作品ですが、スクールオブロックを見ました。頭を使わず見れるコメディなんで、これでもって教育を語るのはアレですが、1つの答えとしてありなのかなと思ったのでメモ。
主人公デューイはロックスターを夢見るものの、全く売れない中年バンドマン。自分が作ったバンドからもクビにされ、同居人から家賃を催促されて、ひょんなことから金目当てに小学校の非常勤講師(無免)として潜り込むことに成功します。始めは全くやる気のなかったデューイですが、彼らの音楽の時間を覗き込んでから、彼らにロックを教えることを思いつくのです。
教室についての理想的な解は出ていません。なぜなら、毎回生徒が変わるからです。社会の事情も変わっていくからです。国家が変わるからです。であれば担任教師の解というのも出てこないわけですが、この映画は
教室を1つの宗教集団にしてしまい、担任は教祖としておさまる
というのは1つの答えになりうることを感じさせます。宗教、というと日本人はアレルギーがでますが、今注目している石川義樹さんによれば、組織というのはどうも宗教から生まれたものだという興味深い記事があります。
組織の原型は古代ペルシア帝国のゾロアスター教にあり(石川善樹)【K17-8A #3】 – 【ICC】INDUSTRY CO-CREATION
教室も1つの組織とみなせば、宗教という解も出てきておかしくはありません。反社会的でなければ。
ところで、宗教には「教祖、経典、敵」の3要素が必要であり、この視点で映画を見るとなかなかどうしてデューイが教祖のように見えるのです。
デューイは敵を作る
まず主人公のデューイはとにかく敵を作ります。冒頭でバンドから解雇された時も彼らに背を向けますし、スクールオブロックを作り上げる際は、The manという概念を生み出します。そして教室を誘導するのです。
「君たちは成功できない。それはthe manのせいだ。」
「誰ですか?」
「それは権力者であり、先生であり、親でもある。」
規律の厳しい学校のお坊ちゃん、お嬢ちゃんには、これが刺さったのです。
そのほか既存の奨励や罰則をことごとく潰し、他(親、校長)には内密にしながら教室を先導していきました。
デューイは人を励ますのがうまかった。
教祖に必要なものの1つは、人を励ます力だと思います。
バンドをやることになってからある時、キーボードから辞めたいと相談を受けました。
「いけてないから、やめます。」
彼は眼鏡をかけて冴えない中国人であることを気にしているようでした。
そんな彼にデューイはしっかりと目を見て励まします。
「ロックをやれば引っ張りダコだ!学校一信用される!!」
何の根拠もないのですが、デューイの自信ある言葉に励まされるのでしょう。
「やります。」
とのひとこと。「責任は重大だ。後で弱音をはくな。これで同士だ。」とのケアまでします。
ステージ直前で緊張のあまり歌えなくなった生徒のケアもうまい。
「太ってるから、笑われる」
に対し、
「お前はロックスターだ、歌いさえすれば有名になれる!」
これでこの子は見事に歌い上げました。
まとめ
まあコメディなんで最後は大団円で終わりましたし、これをそのままやるのを賛成もしません。
ただこの熱狂を生み出すそれは明らかに宗教の様相でしたし、現役教員は学ぶことがあるかもしれません。