大学教員で、私がとりわけ変だと思っていた人たちがいます。
(まあ大概変わっているが)
それが、教授にまでなったのに、学部長や、果ては学長になろうとする人たちです。
なぜ不思議だったかというと、教授にまで上り詰めて、せっかく好きなように研究ができるのにわざわざ研究時間を割き、外部に敵を作ってまで選挙に入れ込むからです。総裁選挙ほどではないでしょうが、その票集めの光景は、アカデミックに幻想を抱いていた小僧には異様な光景に見えたのでした。
大きい大学ほどその社会が複雑化していくのですが、そういった政治事情はサルの世界に学ぶことができます。
オスのチンパンジーにとって、ナワバリとは餌とメスです。ボスザルはオスザルに明確な序列をつけて、勝手な交尾を禁止します。その他のオスザルは服従の印として、毛づくろいという太鼓持ちに甘んじるのですが、あるときは徒党を組んでボスザルを八つ裂きにしてしまうそうです。
さて今回は理系、文系が何で別れたかについてのお話でした。これは以下の本が参考になります。
本書は西洋の歴史から丁寧にその経過を追っている本なんですが、やや細かすぎるきらいがあるのでここで軽くまとめましょう。
日本の大学ができたのは明治以降になりますが、それより以前にも中国やらオランダやらから西洋学問が入っておりました。実は、この時にはすでに西洋の方で学問の分断は起こっていたのです。
その理由は、おそらく神学にあります。
(以前も大学とは何かについてまとめたことがあります)
向こうでの大きなトピックに
「神はいるのか?いないのか?」
というのは外せませんでした。このときの思考のプロセスで使われるのが、「yes or no」の2択。(ちょっと難しくいうと排中律を配した論理)
「分かる」の語源は「分ける」にあるように、西洋は物事を理解するのに分断をします。
お察しの通り、これが学問が分かれる理由と申せましょう。
日本はこの頃の学問を輸入したのだからそのまま分かたれた、という単純な話でもないのでしょう。
この本によれば、西洋学問を日本に輸入したのは西周(にしあまね)。scienceに「科学」という訳語をつけた人でもあるそうです。これから大学を作っていくにあたって、彼は当時そのまま西洋の学問を入れようとしました。
すると何が起こったでしょう。
当時ハバをきかせていた朱子学者達に猛反発を食らったのでした。
曰く、
「西洋の学問には、理(ことわり)がない。」
このあたりを読んだ時、サルのナワバリ争いに近いものを感じました。
当時のボスザル(朱子学者)が自分のナワバリに危機感を感じ、必死に威嚇をしてオスザル(西周)を追い出そうとする。実に人間的な反応です。
彼らの抵抗もありながらも無事東大には法、理、文、医学部をもって棲み分けがなされ、その後は皆様の周知の通り、朱子学なんぞは片隅に追いやられ、いまや弱小大学からは消え失せました。もちろん、今のボスは医学部がほとんどでしょう。
このように、西洋と日本では別れた理由が違います。そんなわけもあり、西洋は文理にこだわることもなく、現代に必要とあれば(文系、理系を)スムーズに行き来できるのでしょう。日本も統合化の流れになってますが、どちらかといえば止むに止まれぬという感じで、統合による経費削減がその主要な目的と思えます。
こういった中でどうなっていくのかについての考察もされているので、本書は大学生のうちに読んでおくと良さそうです。
政治をするサル―チンパンジーの権力と性 (平凡社ライブラリー)
- 作者: フランスドゥ・ヴァール,Frans De Waal,西田利貞
- 出版社/メーカー: 平凡社
- 発売日: 1994/06/01
- メディア: 新書
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