「彼らが本気で編むときは、」をみました。
LGBT、介護、ネグレクト、いじめなど、日本人が抱える問題をチャンポンにした映画でした。
あらゆる社会問題をはらんでいるためか、国際賞なんかも受賞していて、その後にノベライズまでされています。チャンポンのわりに展開が小気味好く、最後まで楽しめてみれました。
さて、本作は上記のような問題をテーマに取り上げた映画です。ネグレクトを受けている母子家庭の小学校高学年の女の子トモが、叔父とトランスジェンダーの恋人リンコとともに生活を営む映画です。トモは、母親が男のところに行ってしまい、祖母は認知症を患っているために叔父しか頼れません。そんな境遇なので仕方なくリンコと生活を共にするのですが、リンコの愛情あふれる検診に母性を感じ心を開いていきます。満ち足りた生活を送っていましたが、リンコと買い物をしているところを同級生に見られていじめにあってしまうのです。
これは完全な主観ですが、LGBT、介護、ネグレクト、いじめなどがテーマとしてあげられたうち、我々が解決できうるのは介護くらいでは無いでしょうか。(解決のラインにもよりますが)
LGBTはかつてから偏見の対象とされ、それは今も続いています。私はどれでも無いので実際の苦しみや息苦しさなどは想像できません。なのでここで私の陳腐な想像を書いても仕方がありません。「大事なのは考え続けることです。」という気もありません。大事な疑問は「なぜLGBTは社会の繁栄の中で淘汰されないのか?」では無いでしょうか。自然に考えて、LGBTのうちバイセクシャル以外は生殖力が下がりそうです。であるならば、人間社会の中でこれらは自然に淘汰されてしまうのでは無いでしょうか。これに対しては生物学の観点から答えが出ているようです。
次にネグレクトに関してです。なぜ母親がネグレクトをするのか、という疑問があるのですが、この映画に出てくる母親に関していえば「より多様な遺伝子を取り込んで多くの子供を産むこと」だったのでしょう。これは、ネグレクトを責められて母親が発した「母親である前に女なの!」に端的に表れています。はなはだ身勝手な親として描かれていますが、こういったネグレクトを含む虐待は年々増加傾向にあるようです。
厚生労働省 平成29年度の児童虐待対応件数等を公表 | 全国ネットのお知らせ・活動 | オレンジリボン運動 - 子ども虐待防止
主人公のトモは母親が出て行った「だけ」ですみましたが、場合によっては、母親が連れてきた恋人に暴行を受ける可能性もあるわけです。
この種のネグレクトの解決が難しいのが、「母親の行動は、生物学的に合理的」だからだと言えます。この不安定は世の中では、手塩にかけた一人娘(遺伝子)が無職に陥ることなど珍しくもありません。「限られた金を一人娘に投資するより、その金で優秀な男と出会い、結婚する方が、、、」と考える人をなくすのは難しいと思います。問題は母親よりも、母子家庭に対する社会福祉の方かもしれないのです。
子供のいじめは、時に驚くほど残酷です。沖津で起きた事件はそれを象徴しています。私自身は教員時代にいじめが起こったことはありませんが、現場にいた感想でもありますが、いじめを発見することは難しいのです。特に、立証が。劇中でも、学校側はおそらくトモのいじめを認知していないと思われます。(これには認知しないという学校の事なかれ主義もあるかもしれませんが。)これに対して、「いじめは集団社会で必要なことだったのでは」という側面を書き出した本があります。
同じ科学者として納得させられてしまうので、この本は広くオススメします。中野先生の、勇気ある出版には敬服させられます。
というわけでかなり陰鬱な気持ちでここまで書いたのですが、介護に関してはテクノロジーや医学での希望が持てます。