こんにちは、math-likeです。今日は教育に関する長年の話題についてです。
ずばり、
「指導をしない指導と、直接指導って、どっちがいいの?」
というやつです。自身が指導に悩んでいる上司やメンターの方、あるいは体良く放置されている部下や大学院生などは参考になるかと思います。
無指導教育とは?
何かを教えたことのある人ならこれがとにかく難しい話なのは共感いただけることと思います。手取り足取り全てを教えるわけにもいかないし、かといって「見て盗め!」というわけにもいきません。そこらへん実際どうなの?というのは実に半世紀も前から議論の対象となっているようです。
ちなみにここでいう無指導教育というのは
「最小限の環境において人々が最高の学習をするという仮説を支持する教育」
のことです。これに対して直接指導は
「学生が学ばなければならない概念や手順を完全に説明し、人間の認知と互換性のある戦略支援を学ぶ情報を提供する教育」
のこと。しっかり言葉で定義すると硬くなりますね。
もちろん、無指導教育は完全な放置ではありません。一応、2つの前提がありまして、1つ目は学生が本物の問題を解決するか、学習者が独自のソリューションを構築することによって、最も効果的な学習体験が得られるという前提に基づいて、情報豊富な設定で複雑な知識を得ることができるということ。つまり脳に何かしらのダメージがある場合などは含まれないし、情報の遮断もないよーという感じです。第2に、学習者は、規律の手順に基づいて経験を積んだことを知っているということです。つまり全くの初学者ではないということです。
認知的には適してないんじゃない?
それだけ仮定しておけば、人は勝手に学習していくんじゃない?と思われはするんですが、つい先日読んだ論文では「認知的にはちょっと、、、」という感じで否定的なんですねー
話をする前に認知的な学習というのを少しまとめます。
認知的には学習とは「長期記憶の変化」と定義しているのが多かったりします。著者もこの立場。もちろん数学をやる上では記憶だけでは問題解決できないんで「ワーキングメモリ」が必要になってきます。(こちらは記憶のうちでも短期記憶の方に分類されています。)
これらのことから、
・ワーキングメモリーを鍛える。
・鍛えたワーキングメモリーを用いて問題解決に取り組み、それらを長期記憶にする。
・保存した長期記憶から推論。
という手順が必要になります。これが認知科学的な学習。
であれば、指導者の役割は、
・解くべき、解きたい問題を一緒に探すこと。
・長期記憶へと促すためのマネージ
などになってきます。長期記憶のマネジメントは正直本人とAIに任せるとして、指導者の役割はイシューを見つけることと言って良いのではないでしょうか。独学をやっている方は、結構この辺が大変なのではないでしょうか。
まとめ
てなわけで、以上の話は個人的な感想でなく、半世紀議論されていることをまとめた話でした。指導者は上記の点に関してケアしていただけるとよろしいかと。学習者は、安易は独学をせずに、上のこと+熱意+実績で教師や上司を判断してみてください。
ひとつ宜しくお願いしますー
参考
http://www.cogtech.usc.edu/publications/kirschner_Sweller_Clark.pdf